こんにちは、坊主女です。


やりたいことをやる。

私はそうやって生きていこうと決め、自分の心を最優先した生き方をしています。

それは自分の意思ひとつでどうにでもなるものだと思っていました。

今回はそんな私が現実を突きつけられたお話です。


読者の方からのメッセージ

メッセージ
先日、ある読者の女性からお問い合わせページよりメッセージをいただきました。

(掲載をご了承いただきましたこと、この場をお借りしてお礼申し上げます)。

「坊主にしたいんです」

その方(以下Aさん)は「坊主にしたい」ということで、美容院の選び方などを質問してこられました。

ちょうど私が以前住んでいた地域にお住まいだったため、私が最初に坊主頭にしてもらった美容院やスタイリストさんをご紹介。

すると早速ご予約をされるという行動力!


素晴らしいなぁ、しかも坊主にしたいって嬉しいなぁ。

私はそう喜んでいましたし、Aさんからも「すごく楽しみです!」とお返事をいただいていました。

断念の理由、それは・・・

最初にメッセージをいただいてからのやり取りはとても早く、翌日には予約を済まされたAさん。

ところがその夜「坊主は断念し、美容院もキャンセルしました」とのメールが。


いったい何があったの?どうしたの?

不安な思いでメールを読み進めると、以下のような理由が書かれていました。
  • 自分としては本当にやりたかったし楽しみにしていた
  • でも、会社の人に「子供がいじめられるよ」と言われた
  • 自分のせいで子供が傷つくのは嫌だし、かばいきれる自信もない

Aさん本人は、美容院の予約日時を早めたいぐらいワクワクされていました。

「奇抜だ」という反論ぐらいは気にしておられませんでした。

でも子供のことを考え、ご自身も納得の上坊主頭にすることを断念されたのです。


「やりたい」ただそれだけなのに

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断念される、というメールをいただいた私は真っ先に「Aさん、無念だろうなぁ」と思いました。

やりたいことをやりたい、ただそれだけのことが叶わないのは悔しいだろうと。


そして、それと同時に私は

「世間の目、常識ってなぜこんなに恐ろしいんだろう」


と震えすら覚えました。

なぜ「ダメ」なの?

別に私は坊主頭にこだわるつもりはありません。

でも、別に女性が坊主にしてもいいと思うし、男性が髪を伸ばしてもいいと思うのです。

それをなぜ「そんなのおかしい」「変わってる」と杓子定規に判断されるのかが納得いきません。


その常識は誰が作ったのか?

世間の目は誰の目なのか?

そんなよくわからないものを基準にしてなぜ「ダメ」というのか?



ごめんなさい、私にはわかりません。


でもこれは、そう判断してしまう人よりもそれを作り上げてしまった社会そのものに問題があるのだと思います。

社会がどうでも関係ない

こう言ってしまうと「社会が変わらなきゃどうしようもない」と思われるかもしれません。

そこまで言うなら社会の一つも変えてみてよ、と言われるかもしれません。


でも私は、社会に対して声高にシュプレヒコールをあげ、戦うつもりはまったくありません。

それよりも自分はどう思うのか、どういう基準で考えるのか、どうありたいのか。

それを突き詰め、実行して行く方が大切だと思うのです。


社会にどうこうしてほしい、社会が悪いと思うのは自分で自分の人生の責任を取らないと言っているのと同じこと

自分を幸せにするのは自分だけです。

ならば社会に自分を委ねることなく、自分の心に正直に生きた方がいい。

私はそう思うのです。


私は、やり続ける

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今回の件で、私は2つのことを思いました。


一つは

「日々やりたいことをやれている自分は本当に幸せなのだ」

ということ。


もう一つは、

「私は、やりたいことをやり続ける」

ということ。


こんな生き方もある。

その姿勢が誰か一人でも勇気づけられるように。

私はこれからも「やりたいことだけをやり続ける人生」を送り続けます。