坊主女のミニマルライフ

ミニマルライフを突き進んだら坊主頭にたどり着きました。

2017年04月

「全力少年」という歌があるなら、全力中年がいたっていいじゃない。こんにちは、坊主女です。日々全力で生きていらっしゃる方には大変失礼な記事であることをお許しください。ですが、この記事を読みながら私は今を全力で生きている!と胸を張って言える人はどれくらいいる ... 続きを読む
「全力少年」という歌があるなら、全力中年がいたっていいじゃない。
こんにちは、坊主女です。

日々全力で生きていらっしゃる方には大変失礼な記事であることをお許しください。
ですが、この記事を読みながら
私は今を全力で生きている!
と胸を張って言える人はどれくらいいるでしょう。

恥ずかしながら私だって、つい先日までは自信を持って言えませんでした。

<目次>

全力を出さなくなった理由

子供の頃は毎日があっという間。
「生きる」なんて意味も考えずに、いつも全力で走っていたような気がします。

それが大人になるにつれズルくなったのか、怖くなったのか。
いろんな理由をつけて「手を抜く」ようになりました。

失敗するのが怖いから、最初から全力を出さない。
全力とか一生懸命とかって、なんかカッコ悪い。
どうせなら楽して美味しい思いをしたい。
もう、諦めた。

理由は人それぞれでも、共通するのは
「逃げる気持ち」
だと思います。

では何から逃げてる?

もうおわかりですよね。
一番逃げてはいけない、自分の本当の気持ちから逃げてるんです。

全力で生きると決めたら、毎日が楽しくなった

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先日の緊急搬送から私は一貫して同じことを伝えていますが、それは私の決意でもあります。
▶︎坊主女緊急搬送!「今日が人生最後の日だったら」を真剣に考えた1日。

人生は一度しかない。
本当にやりたいことをやる。
「今」を全力で、精いっぱい生きる。

今の世の中では暑苦しい考え方かもしれません。
でも私は決めました。
自分の気持ちに正直になり、全力で生きる、と。

そうすると不思議なもので、同じ景色がキラキラと輝いてきました。
自然と顔が上を向き、笑顔になりました。

今は毎日が楽しくて仕方ありません。
特別なことが何もなくても、
ただ生きていることが楽しい、生きていることが嬉しい。

今はこんな風に思いながら毎日を過ごしています。

自分の気持ちに嘘はつかないでほしい

全力で生きるといっても勘違いはしないでください。
家事に育児に仕事にと、24時間何から何まで全力投球では体が持ちません。

私の思う「全力で生きる」とは、
自分の本当の気持ちに正直に生きることであり、
諦めない、逃げないということです。

根性論ではありません。
あなたの人生の主人公はあなたなのです。
後悔してほしくないんです。

だからこそ、自分の気持ちに嘘はつかないでほしい。
自分の気持ちに正直に、全力で生きる。
そうすれば、今以上に楽しい毎日が待っているに違いありません。

超合理主義者ではありませんよ、あしからず。 こんにちは、坊主女です。 先に言っておきますが、人生において全てのムダ=不要なわけでは決してありません。 とはいえ時間は有限。 誰にとっても「ムダな時間」はさっさと手放すべきです。 <目次> 人生の3大ムダ時間 ... 続きを読む
超合理主義者ではありませんよ、あしからず。
こんにちは、坊主女です。

先に言っておきますが、人生において全てのムダ=不要なわけでは決してありません。
とはいえ時間は有限。
誰にとっても「ムダな時間」はさっさと手放すべきです。

<目次>

人生の3大ムダ時間とは?

私は、人生には3つのムダ時間があると思っています。
何も生み出さず、自分を見失う、そんな時間。

一つずつ見ていきます。

①後悔する時間
過去に起こった出来事は絶対に変えられません。
それを悔やむ時間など、問答無用でムダ時間です。

②不安に思う時間
不安は、まだ来ない未来に対して抱く気持ち。 
そして、明日のことですら誰もわからないのです。
どうなるかわからないことを不安に思う。ムダです。

③他人の目を気にする時間
他人を自分の思い通りになどできません。
「私のことをこう思ってほしい」と思ったところで無理なのです。
思い通りにならないことを考え続けるのはムダです。

これらのムダ時間は、増やそうと思えばいくらでも増やせます。
逆に、「ゼロ」にもできます。

どうすればムダ時間を手放せるのか?

答えはシンプルです。

「今」この瞬間のことだけ考え、生きる。

結局これに尽きると思うのです。

過去・未来・他人。
これらはすべて「今の自分」から離れたところにあります。
つまり「ムダ時間」は、今の自分から心が離れるから生まれるのです。

それならば、今の自分に心を戻せばいい。
それが、「今」この瞬間のことだけ考え、生きるということなのです。

人生は「今」の連続。

私たちは、今まで生きてきた時間を「過去」、これから生きていく時間を「未来」と言っています。
でも決して勘違いしないでください。

私たちは「過去」も「未来」も生きられない。
生きているのは「今」、生きられるのは「今」。
ただひたすらに、「今」を全力で生きるだけ。

心ここにあらずでは、今を全力では生きられません。

体と心を「今」に一致させる。
そうすれば「今」を全力で生きることができ、ムダな時間を手放すことができますよ。

何度でも言います。人生に苦はなくていい。こんにちは、坊主女です。言い訳って、しないように気をつけていてもしてしまう厄介者。でも、実はやめた方がずっとずっと楽なんです。楽になるなら今すぐ言い訳をやめたい!そう思いませんか? <目次>言い訳は、他人に自分の人 ... 続きを読む
何度でも言います。人生に苦はなくていい。
こんにちは、坊主女です。

言い訳って、しないように気をつけていてもしてしまう厄介者。
でも、実はやめた方がずっとずっと楽なんです。

楽になるなら今すぐ言い訳をやめたい!
そう思いませんか? 

<目次>

言い訳は、他人に自分の人生を委ねているのと同じ

「あの人がああ言ったから」
「あの時あれがなかったから」

とにかく言い訳は、主語が自分ではありません。
他人、物、出来事、果ては天気まで!

逆に言えば、自分以外のすべての物事が言い訳の理由になるということ。
これがどういうことかわかりますか?

他人に自分の人生を委ねているのと同じということなのです。
つまり、自分の人生なのにわざわざ自分から「人生の主導権」を手放しているのです。

そりゃ人生思い通りになるわけありません。
ちっとも楽しくないし、苦しいだけです。

言い訳をやめるとなぜ楽になるのか?

ここまで読んだ皆様は、
言い訳するとかえって苦しいんだ
ということはおわかり頂けたかと思います。

では「言い訳をやめる」とはどういうことでしょうか?

それは、自分の人生に責任を持つということ。
何が起こっても自分が引き受け、自分の人生の主導権を握るということです。

え?責任?引き受ける?
それはそれで辛そう・・・。

ちょっと待って!
だ・か・ら、楽なんです。

すべてを自分で引き受けるからこそ、やりたいことだけやればいいんです。
やりたくないことはやらなくていいんです。
だからこそ、楽なんです。
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すべてを一人でやらなければいけないわけではない

すべてを自分で引き受ける、と言うと、
じゃあ何もかも自分一人でやらなければいけないの?
と不安になりますよね。

そういうことではないんです。

人が一人でできることには限界があります。
その限界を見極め、無理な量や無理な分野は他人に任せる、頼る。
ただし、限界を見極めたのは自分であり、頼んだのも自分。
その自分の決断は自分で引き受け、相手を信頼する。

こういう意味で「引き受ける」と表現しています。

言い訳をやめ、自分の決断を自分で引き受け、やりたいことだけをやる。
それはあなたが思っているよりはるかに楽な生き方です。

どうか勇気を持って一歩を踏み出してください。

お金には心があると本当に思う。こんにちは、坊主女です。先日、憑き物が落ちたかのように執着心が消えたことを記事にしました。▶︎執着を手放すと、生きることが楽になる。この記事を読んで様々な感想を持たれたでしょうが、ちょっと突っ込みたくなりません?ほんとに手放 ... 続きを読む
お金には心があると本当に思う。
こんにちは、坊主女です。

先日、憑き物が落ちたかのように執着心が消えたことを記事にしました。
▶︎執着を手放すと、生きることが楽になる。

この記事を読んで様々な感想を持たれたでしょうが、ちょっと突っ込みたくなりません?

ほんとに手放せたの?
特に、お金への執着心とかさ。

って。

<目次>

お金に対する執着心も消えました

物と同じ考え方です。

お金もあの世には持っていけないんです。
何億という資産を持っていても、タンス預金を抱え込んでいても。

もちろん私にも家族がいますから、実際に私の判断だけでどうこうできる問題ではありません。
ただ、個人的な考え方として「必死に貯めよう」とか「もっとお金が欲しい!」とは思わなくなりました。
自分でも不思議なくらいです。

そして、このようにお金に対する執着がなくなった時、ある大切なことに気づきました。

人は所詮「お金の通り道」に過ぎない

一見すると自分が「持っている」ように思えるお金。
でもそれは、必ずどこかからやってきて、どこかへ出て行くもの。
「持つ」ことなどできない。
つまり、人は所詮「お金の通り道」に過ぎないんだ

今までいろんな本で読んできたこと、いろんな人が言っていたこと。
それらすべてが「すとん」と肚に落ちた瞬間でした。

そして、人がお金の通り道に過ぎないのだとすれば。

お金の流れを決して止めてはいけない。
感謝して迎え、感謝して送り出さなければならない。
自分の物ではないからこそ、大切に次の人へ送り出さないといけない。

このように、感謝や愛の波動をお金に乗せて送り出すこと。
それこそが通り道としての役割であり、その結果として
お金も喜び、受け取る人も喜び、喜びと幸せのエネルギーが循環し増幅していく。

そういうことなのだと思えるようになりました。
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正しくお金を遣えば必要なお金は入ってくる

別にお金に対する執着心がゼロにならなくてもいいと思います。
ただ、
通り道としてやるべきこと=お金の遣い方
を間違えてはいけないと思います。

あーまたお金が減っていく、と思いながら遣うのか、
こんなに素敵な物が手に入れられた!と感謝しながら遣うのか。

その結果が違うのは推して知るべしです。

そして、このように正しくお金を遣えば、必要なだけのお金はきちんと入ってきます。

身の丈に応じた暮らしのために。
まずは自分から、正しくお金を遣ってみてください。 

逆上がり、できません。こんにちは、坊主女です。先日の緊急搬送から数日が経ちました。相変わらず原因はわかりませんが、体調は安定しております。ご心配頂きました皆様、本当に本当にありがとうございます。この場をお借りして御礼を申し上げます。<目次> 今までの「ミニ ... 続きを読む
逆上がり、できません。
こんにちは、坊主女です。

先日の緊急搬送から数日が経ちました。
相変わらず原因はわかりませんが、体調は安定しております。
ご心配頂きました皆様、本当に本当にありがとうございます。
この場をお借りして御礼を申し上げます。

<目次>

今までの「ミニマルライフ観」に違和感を覚え始めた

私が今までこのブログを通して伝えて来た「ミニマルライフ」とは、
本当に大切な物だけに囲まれ、心豊かに暮らす
というものでした。

ところが、先日の緊急搬送で「死」を一瞬でも感じた私。
▶︎坊主女緊急搬送!「今日が人生最後の日だったら」を真剣に考えた1日。
自分のミニマルライフ観に違和感を覚え始めたのです。

大切な「物」って言うけど、物はあの世に持っていけない。
本当に大切な「物」なんて実はないんじゃないか?

心豊かに暮らす。
確かにそうだけどなんだかボヤけた感じ。

こうやって自分の考え方に疑問を投げかけるうちに、ある一つの想いが浮かび上がって来ました。

大切なのは「今」だということ

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自分にとって大切なのは、「物」でもなければ「未来」ですらない。
大切なのは「今」。
「今」を生きること。
「今」を全力で、精いっぱい生きること。


ただそれだけなのだ、と思うようになったのです。

そしてこうも思います。
「今」を生きられることに感謝する気持ちこそ、何よりの豊かさだということ。
「今」にだけフォーカスすれば、雑念すら手放せるということ。

「今」を中心に置くことで、考え方がとてもシンプルになりました。

今の私が思うミニマルライフとは?

このように色々考えてみて、今の私が思うミニマルライフはこうなりました。

生きていくために必要最低限の物だけを持ち、今この瞬間を生き切る。


今まで以上に「物は要らない」という思いが強くなっています。
「今を生きる」ことが何よりも大切だと思っています。 

すべてにおいて「今」を軸に据え、これからのミニマルライフを送っていきたいと思います。

記憶が耳に残る私、目に残る主人。お互いに驚いてばかり。 こんにちは、坊主女です。 私は小さな頃からテレビがあまり好きではなく、今はほとんど見ません。 また、ミニマルライフを始めてから音楽もほとんど聴かなくなりました。 そんな私なのに、ここ数日頭の中でエンド ... 続きを読む
記憶が耳に残る私、目に残る主人。お互いに驚いてばかり。
こんにちは、坊主女です。

私は小さな頃からテレビがあまり好きではなく、今はほとんど見ません。
また、ミニマルライフを始めてから音楽もほとんど聴かなくなりました。

そんな私なのに、ここ数日頭の中でエンドレスに再生されている曲があります。

<目次>


ご存知ですか?このCMソング

その曲とはこちらです。


すっかりおなじみになったauの三太郎シリーズ。
その2017年新年バージョンで流れているWANIMAの「やってみよう」です。

テレビにも音楽にもすっかり疎くなった私がなぜ知っているかというと・・・
主人がこのシリーズ大好きなんです。
中でもとりわけお気に入りがこの新年バージョン。

以前から私も一緒によく見ていましたが、ぼんやり「いい曲だなぁ」と思っていた程度。
それが突然頭から離れなくなりました。

なぜだろう?でも片時も頭から離れない。
あまりにも気になるのでiTunesで曲を購入し、何度も何度も聴きました。
そして、頭を離れない理由がわかりました。

この歌詞が、私を呼んだんだ

この曲は曲ももちろんいいですが、歌詞はさらにいいです。
その中でも、ひときわ私の心に突き刺さる歌詞がありました。
同じ今日という日は二度とないんだから
私が今感じている想いと同じことを歌ってくれている!
だから頭から離れなかったんだ!私に届いたんだ!

正直、少し震えました。
でも嬉しかった。

明日は来ないかもしれない。
今日という日も二度と戻らない。
だからこそ「今」を精いっぱい生きなきゃいけない。

私にはそんな風にも聞こえました。

だから、やってみよう!

この曲の冒頭はこんな歌詞です。
正しいより 楽しい
正しいより 面白い
やりたかったこと やってみよう
失敗も思い出
ずっとやりたいと思っているけれど、「できるわけない」と周りに反対されている。
「いい歳して何夢見てるの!」という言葉を真に受けてしまっている。

あなたはそんな周囲の「正論」に屈していませんか?
それは「世間体」という名の鎖でしかありません。

あなたが楽しいと思うこと、面白いと思うこと。
それをやってみればいいと思うのです。
失敗なんて失敗じゃない。
やって後悔なんてすることはない。

一度きりの、あなただけの人生なんです。
だから、せ〜の、やってみよう!

あの世の存在を信じてる。こんにちは、坊主女です。物はあの世に持っていけない。そんなことわかってるよ、と言われるかもしれません。でも、日々の暮らしの中で意識している人はほとんどいないのではないでしょうか。<目次>ベッドの上で考えていたこと 死ぬ時はからだ一つ ... 続きを読む
あの世の存在を信じてる。
こんにちは、坊主女です。

物はあの世に持っていけない。
そんなことわかってるよ、と言われるかもしれません。
でも、日々の暮らしの中で意識している人はほとんどいないのではないでしょうか。

<目次>

ベッドの上で考えていたこと

先日緊急搬送された時のことです。
▶︎坊主女緊急搬送!「今日が人生最後の日だったら」を真剣に考えた1日。

「死」が頭をよぎった私は、こんなことまで考えていました。

私の持ち物の処分は主人にやってもらうんだよな。
どこに何があったっけ。
あー、けっこうあるなぁ。片付け大変だろうなぁ。


変に現実的というか、頭が冴えたというか。
その後何事もなく帰宅できたわけですが、「持ち物」について思うことがありました。

死ぬ時はからだ一つなのだと気づく

当たり前のことです。
棺桶に思い出の品を入れてもらうことはできても、自分が物を持って行くことはできないのです。
それどころか、物の処分は残された人間にやってもらわなければなりません。

どれだけ高価な物でもそう。
思い出のつまった物でもそう。

そんな風に思って私の身の回りを眺めてみました。
私の持ち物はまだまだ多いです。
そして、生きていくために本当に必要な物はそんなに多くないのだ、とも思いました。

それでもあなたは持ち続けますか?

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私の言っていることは極論に聞こえるでしょうか。

私は、物を持つことを否定しているわけではありません。
生きている今を潤す「物」も大切だと思います。

だからといって、むやみやたらと物を持つ、持ち続けるのは別問題だと思います。

物はあの世に持っていけない。

心のどこかでこのことを意識しているだけでいいと思います。
それは、あなたが物を選ぶ時、手放す時の揺るがない基準となるはずです。

こんにちは、坊主女です。執着。嫌な言葉でした。ずっと手放したいと思っていました。ずっと苦しんでいました。それが今、憑き物が落ちたかのようになくなってしまったのです。<目次>自分でも驚くほど執着心が消えた どっちでもいい 執着しない生き方はとても楽自分でも驚 ... 続きを読む
こんにちは、坊主女です。

執着。
嫌な言葉でした。
ずっと手放したいと思っていました。
ずっと苦しんでいました。

それが今、憑き物が落ちたかのようになくなってしまったのです。

<目次>

自分でも驚くほど執着心が消えた

「死」を意識したこと。

それは、私の考えを何もかも変えてしまうほどの力がありました。


生きていること、それだけでもうじゅうぶん幸せでありがたい。

他に何が要るんだろう。

命があれば、それでいいじゃないか。


こう思えたら「執着心」など入り込む余地もありません。

物・お金・他人、ありとあらゆる物事への執着心が嘘のようになくなりました。


その結果、どうなったか?


どっちでもいい

投げやりではないのです。


あってもなくてもいい。

AでもBでもいい。

どっちでもいいし、どっちでも幸せ。


こう思えるようになったのです。


例えばお金でも。

あるに越したことはないかもしれないけど、別になくてもいい。


物の場合は?

私はなくてもいいけど、あってもかまわない。

人だったら?

Aという考え、Bという考え、Cという考え、どれもあり。


つまり、すべてを受け入れられるようになったのです。
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執着しない生き方はとても楽

執着心を手放すのは、物を手放すよりもはるかに難しいです。

だからこそ私もずっと苦しんできました。


今、私は「死」を意識したことであらゆる執着を手放すことができています。

だからといって誰もが「死」を意識することもできなければ、意識できたとしても執着を手放せるわけでもありません。

まして、万人が執着心を手放せる確かな方法もありません。


それでも間違いなく言えることは、執着しない生き方はとても楽だということ。


どうか誰もが執着を手放し、楽に生きてほしい。

私はそう願っています。

いつやるの?今でしょ!こんにちは、坊主女です。私は昔から「思い立ったらすぐ行動」派です。ですが先日の緊急搬送の一件以来、行動力のギアが一気に上がりました。▶︎坊主女緊急搬送!「今日が人生最後の日だったら」を真剣に考えた1日。<目次>とにかく「すぐ」やるよう ... 続きを読む
いつやるの?今でしょ!
こんにちは、坊主女です。

私は昔から「思い立ったらすぐ行動」派です。
ですが先日の緊急搬送の一件以来、行動力のギアが一気に上がりました。
▶︎坊主女緊急搬送!「今日が人生最後の日だったら」を真剣に考えた1日。

<目次>

とにかく「すぐ」やるようになった

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「すぐ」です。
とにかく「すぐ」やる。とりあえず「すぐ」やってみる。
すべてにおいて意識が「ガラリ」と変わりました。

例えばこんな感じです。
  • お礼は今度会った時と思っていたが、「すぐ」にお礼状をしたためポストに投函した
  • 行きたいと思ったお店には、その日に「すぐ」行った
  • 良いと紹介されていた本を「すぐ」買い、読んだ
  • 頼まれたことを「すぐ」やった
  • 興味を持ったことを「すぐ」調べた
このように「すぐ」を意識するようになった結果、わかったことがあります。

「すぐ」やると、手放せることがこんなにもある

どんなことが手放せるのでしょうか?

①迷う時間を手放せる
迷う時間、本当に無駄です。
「すぐ」やれば、迷う時間を手放すことができ、別の有意義なことに使えます。

②不安を手放せる
先延ばしにするから「失敗したらどうしよう」なんて不安になるんです。
失敗したって次に活かせばいいだけのこと。
不安を手放して清々しく生きた方がよほど楽です。

③後悔を手放せる
「あの時ああしておけば」「あの時買っておけば」「あの時言っておけば」
やらなかった後悔ほど悔やみきれないものはありません。
同じ後悔ならやって後悔した方がいいに決まっています。

残された時間はそんなに多くない

現在40歳の私、人生まだまだこれからだと思っています。
でもそれと同じくらい、
残された時間はそんなに多くない
とも思っています。

それは20歳だろうが60歳だろうが同じこと。
時間は有限です。とても大切なものです。

だからこそ「すぐ」やることを意識してみてください。
残された時間を、有意義に使ってください。

「生」と「死」って、対極でも裏表でもなく、隣にあるものなのだと思う。 こんにちは、坊主女です。 先日の緊急搬送。 体に何も異常はなかったとはいえ、私は一瞬でも「死」を意識しました。 ▶︎坊主女緊急搬送!「今日が人生最後の日だったら」を真剣に考えた1日。 そし ... 続きを読む
「生」と「死」って、対極でも裏表でもなく、隣にあるものなのだと思う。
こんにちは、坊主女です。

先日の緊急搬送。
体に何も異常はなかったとはいえ、私は一瞬でも「死」を意識しました。
▶︎坊主女緊急搬送!「今日が人生最後の日だったら」を真剣に考えた1日。

そして、それと同じぐらい「ある想い」で心がいっぱいになりました。

<目次>

ただ、生きていることへの感謝

救急車で病院へ運ばれた直後、私の心を占めていたのは「死」でした。

苦しさもおさまらなければ、検査結果もなかなかわからない。
死ぬのかな。もう家に帰れないのかな。
そんなことばかり考えていました。

だから、医師から
「特に異常はありません」
と告げられた時、私の心に真っ先に浮かんだのは
ただ、生きていることへの感謝の気持ち
でした。

この場所で、私は生きている。
息ができる、物が見える、体が動かせる。
なんてありがたいことなんだろう!


それは、出会う人、出会う物、すべてに大きな声で「ありがとう!」と言いたいぐらい衝動的なものだったのです。

生きているだけで幸せなのだと心の底から思う

「幸せとは気づくもの」
「物が人を幸せにしてくれるわけではない」

そうです。たしかにおっしゃるとおりです。
私も以前そんな記事を書いていました。
▶︎ミニマルライフで幸せになれるって本当なの?

でも、はっきり言って今やミニマルライフとかどうでもいい。

生きているだけでいいんです。
生きているだけで幸せなんです。
何もなくても、生きていればなんとかなるんです。


理屈じゃないです。
痛みが、苦しみが、私の心に刻み込んでくれた「感覚」なんです。

すべては生きていればこそ

今何かで悩んでいる人。
壁にぶつかって苦しんでいる人。
「自分はなんて不幸なんだろう!」と叫びたい人。

辛いと思います。お察しします。
でもそれ、死んだらできないんです。

悩むこと、苦しむこと、泣き叫ぶこと。
どんな辛いことも、生きていればこそできるんです。感じられるんです。

どんな出来事も、どんな感情も、味わいながら生きてほしい。
そして「生きていること」の幸せを噛みしめてほしい。

決して難しいことではありません。
だって、あなたは今「生きている」のだから。

ちゃんと生きてます。こんにちは、坊主女です。衝撃的なタイトルでごめんなさい。でも本当に起こった話です。救急車で緊急搬送その日は久しぶりに主人と出かける予定でした。 私は早起きして夕食用の肉じゃがを仕込み、主人が起きてくるのを楽しみに待っていました。 ... 続きを読む
ちゃんと生きてます。
こんにちは、坊主女です。

衝撃的なタイトルでごめんなさい。
でも本当に起こった話です。

救急車で緊急搬送

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その日は久しぶりに主人と出かける予定でした。

私は早起きして夕食用の肉じゃがを仕込み、主人が起きてくるのを楽しみに待っていました。


その時突然、背中に激痛が。
「あれ?姿勢悪かったかな?」なんて呑気にストレッチをするも痛みは増すばかり。

そのうち痛みは胸を締め付け、呼吸は苦しさを増し、めまいやしびれで意識も曖昧に。


狭心症?まさか心筋梗塞!?
わからない!苦しい!早く治って!!



そうやって我慢すること1時間。

苦しさはおさまらず、起きてきた主人に「病院に連れて行ってほしい」と伝え、準備をしてもらっていたのですが・・・ 

血の気が引いていく。意識が遠のいていく。
もう無理。

「救急車、呼ぶ」


そこからのことはあまり覚えていません。

あっという間に到着した救急隊員の方に矢継ぎ早に質問を受け、救急車に担ぎ込まれて病院へ。

病院でも診察、検査、検査。


連れ回される院内、テキパキ動き回る看護師、夜勤明けの充血した目で診察をする医師。

そんな周りの様子をぼんやりと目にしながら、頭にはこんな言葉が浮かんでいました。


私、死ぬのかな…。


今日が人生最後の日だったら

検査の結果、心臓や肺、その他どこにも異常はありませんでした。

「じゃあなぜあんなに苦しかったんだろう?」という疑問は残りますが、ともかく点滴だけは受けて昼過ぎに帰宅しました。


意識が落ち着いてきたベッドの上で、私はスティーブ・ジョブズの言葉を思い出していました。

もしも今日が人生最後の日だとしたら、今日やろうとしていることをやりたいと思うだろうか?


今まで私は、このブログで何度も時間は有限」「やりたいことをやるべきといったことを伝えてきました。


自分ではわかっているつもりでした。

でも本当は何もわかっていませんでした。


「死」は遠い未来の話ではない。

本当に、本当に、明日死ぬかもしれない。
 
じゃあ私は今、本当にやりたいことをやれているのか?


何事もなかったとはいえ、今回の痛みは一瞬でも私に「死」を感じさせました。

「明日死ぬかもしれない」というフレーズが、生まれて初めて自分の言葉になりました。

だからこそ思いました。


明日死ぬかもしれないのに、やりたくないことをやっている時間なんてない。

やりたいことだけを、後悔ないようにやらなければ!

伝えたい想い

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私がこの記事を書いたのは、今回の私の体験を皆さん自身に置き換えて考えて欲しかったからです。

自分も明日死ぬかもしれない。

そんな今日、やりたいことをやれているか?

そう心に問うてみてほしいのです。


色々な事情があり、制約があると思います。

それはわかってます。

それでも私は伝えたい。


一度しかない人生なんです。

明日死ぬかもしれないんです。

あなたが本当にやりたいことをやってほしい。

生きたい今日を生きてほしい。



私もそうやって生きていきます。

だからあなたも、あなたの人生を、あなたのために生きてください。

「人」という字は、右側がしんどそうだとずっと思ってる。こんにちは、坊主女です。私は以前から定期的に人間関係を整理していることを記事にしています。▶︎「いつか連絡するかも」は、しない。携帯電話の連絡先も定期的に整理する。そのことは後悔していませんし、実際困 ... 続きを読む
「人」という字は、右側がしんどそうだとずっと思ってる。
こんにちは、坊主女です。

私は以前から定期的に人間関係を整理していることを記事にしています。
▶︎「いつか連絡するかも」は、しない。携帯電話の連絡先も定期的に整理する。

そのことは後悔していませんし、実際困ったこともありません。
でも、ほんのちょっと弱気な自分が顔を出したことを告白します。

<目次>

話し相手が、いない・・・

引っ越しを機に一番大きく変化したのは、今思うと「人間関係」でした。

40年間ずっと関西に住んでいた私。友人も親族もほぼ関西在住です。
頻繁に行き来ややりとりをするわけではありませんでしたが、
連絡を取ればすぐ会える
という安心感が心のどこかにありました。

でも今は遠く離れた地。
下手に連絡をすれば心配されるだけ。
それなら新しい土地で新しいつながりができているかというと、まだ。
気がつくと引きこもりがちになり、話し相手は主人ぐらい。

話し相手が、いない・・・。

一度そう思ってしまうと湧き上がる淋しさ。
あの人はどうしているだろう、あの人は元気かしら。
あぁ、SNSを復活させてみようかな。

そんな風に「過去の人間関係」にばかり心が捉われる時間が増えてしまっていました。

人間関係は、自分から作ればいい

そんな当たり前のことを思い出したのは、先日の記事です。
▶︎「運」は「動」より生じる。まずは自分から動いてみること。

運気の停滞を感じていた私、とにかく動こう!と思いました。
地元のネイルサロンへ行ったり、
▶︎時には自分に手をかける。感じた幸せは周りにも伝わるから。
おすそ分けとしてお隣さんへ声をかけたり。
▶︎「与える」ことで得られるのは、物だけではないんです。

そうやって自分から積極的に人と関わっていくうちに、私は元気を取り戻していきました。
そして思ったのです。

過去は過去。
これからの私にふさわしい人間関係を、私が作っていこう。


思い出と同じ。すがっていても何も変わらない。
あるのは「今」と「未来」。
前を向いて、これから新しく作っていこう。

こう思えるようになると、過去の人間関係への思いはスッパリ断ち切ることができました。

成長のために人間関係は必要不可欠

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ミニマリスト=孤独。
そんなイメージが私にあったのも事実です。
この3ヶ月間、あえて新しい人間関係を築かなかったのはそのせいでもあります。

でも、やっぱり思います。
人は決して一人で生きていけるわけではない。
そして成長していくために、人との関わりは必要不可欠だ、と。

これからは自分のために、さらに成長していくために、
過去に捉われず、自分の手で新しい人間関係を築き上げていきたいと思います。 

炊き込みご飯?かやくご飯?まぜご飯?(私はまぜご飯)。こんにちは、坊主女です。欲しいなら与える。与えるが先。その通り、とわかっていてもなかなか「ポン!」と実践できないもの。そんな私にとある出来事がありました。<目次>人生で初めての「お隣さんへおすそ分け」 ... 続きを読む
炊き込みご飯?かやくご飯?まぜご飯?(私はまぜご飯)。
こんにちは、坊主女です。

欲しいなら与える。
与えるが先。

その通り、とわかっていてもなかなか「ポン!」と実践できないもの。
そんな私にとある出来事がありました。

<目次>

人生で初めての「お隣さんへおすそ分け」

先日、母からたけのこが届きました。
たけのこ
それはもう大きくて、しかもこの倍の量!
すぐに母にお礼の電話を入れたのですが・・・

夫婦二人暮らしではさすがに多すぎる。
義両親にあげてもまだ多い。
どうしよう。

その時ふと、
お隣さんにあげてみようかしら
と思い立ったのです。

近所づきあいなんて皆様からすると当たり前なのかもしれません。
でも、都会でマンション暮らしをしてきた私にとって「お隣さん」はせいぜい挨拶を交わす程度。
物をあげるなんてむしろ迷惑では?とすら思っていました。

いや、でもやってみよう。
なぜか迷いなく思い、すぐにおすそ分けにいったところ本当に喜んで頂けました。

そしてその夜。
インターホンが鳴ったので出てみるとお隣さんが。そして
「実家の畑で取れた野菜なんですけど、どうぞ」
と言って差し出された袋にはとれたてのお野菜が!

かえって気を遣わせてしまったのですが、本当にありがたく頂戴しました。

もらったのは「物」だけではなかった

この出来事だけを見ると、
たけのこをあげたらお野菜をもらった
という「物々交換」的な面しか見えないかもしれません。

ですが、私がもらったのは「物」だけではありませんでした。

お隣さんがとても喜んでくださったことが、ものすごく嬉しかったのです。
その「嬉しさ」は、お返し以上に「喜び」と「幸せ」をもたらしてくれました。

あげたのは私のはずなのに、そんなことは忘れるぐらいに多くのことを頂きました。

<最後に> もっともっと「与えられる人」に

もっとお金があれば、
もっと才能があれば 、
いくらでも「与える」のに。

「与えるが先」と言いながら、私はやっぱり心のどこかでそう思っていました。
でもやっぱり「与えるが先」でした。間違いなくそうでした。

お金の「引き寄せ力」を知りたいあなたへの中でKeikoさんもこのようにおっしゃっています。
プアな人は「もらう」ことを求め、
リッチな人は「与える」ことに喜びを覚える
いきなり1億円を寄付する、なんてことはもちろんできませんが、
自分のできる範囲から、できることを
惜しみなく「与えられる人」になろうと思います。